発汗CM巡礼パートⅡ
先日の新曲イベント当日の空き時間に巡礼を始めた発汗CM巡礼、今日はその第2弾をお送りします。
今日の巡礼先は2006.11.19放送分と2006.11.26放送分の2箇所を廻ってきました。
早速、ご紹介しましょう!
① 地蔵坂
都内のJR山手線「西日暮里駅」に向かいます。
ここは荒川区日暮里、目的の地蔵坂は西日暮里駅から歩いて直ぐの場所にあり、駅のホームからもその姿を見ることはできます。
駅を出て南に進むと直ぐ見えてくるガード下通路をくぐると、目的の地蔵坂が見えます。
ガード下通路内は駐輪場でした。
◇発汗CM・地蔵坂(2006.11.19放送)
【ハロモニ】オープニングの登場シーン。
【現場写真】境内横の通り。
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】スーさん登場。
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】スタート!
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
◇◆地蔵坂付近
地蔵坂を登るととある神社が見えてきます。
その神社は「諏訪神社」で、深い木々に囲まれ静かに佇んでいます。右に本殿左に鳥居が見えます。
この神社は古く、日暮里・谷中の総鎮守の神社として名高いそうで、地元でも知られたトコロだそうです。今日もご近所の方と思しき人たちが散歩に訪れていました。
神社を探す - 東京都神社庁
元久二年の創立で、豊島左衛門尉経泰が勧請。文安年間に太田道灌神領を寄進し、徳川時代神領を賜わり、寛永十二年社殿を現在の地に御遷座し、明治になり日暮里・谷中の総鎮守の神社として名高く、八月の大祭には百軒近く露店が並ぶ。
- 地蔵坂上の鳥居
- 本殿
- 荒川区の史跡書き
- おみくじ
- 本日の運勢…微妙。
◆地蔵坂◆
荒川区西日暮里3-4
http://bird.zero.ad.jp/~zam77093/higurashinosato.htm
広重が描いた「日暮里諏訪の台」は上の「江戸名所図会」2番目「浄光寺」の左に赤丸で囲った部分である。
人々が縁台に腰を掛け景色を楽しんでいる場所は諏訪神社の境内であり、また中央下段の崖下から上ってくる人が見えるところは境内にある「地蔵坂」である。
この諏訪神社の境内は断崖の上で、この図のさらに右に別当寺「浄光院」がある。この浄光院も同じ高さにあるのでそこからの眺めも非常に良いものだったのであろう。遠くに見えるのは筑波山と日光山であろうか、江戸名所図会と同様の構図である。
現在では断崖よりも高いビルが立ち並び遠くを見通すことは出来なくなった。
② 夕やけだんだん
本日2箇所目、お隣の「日暮里駅」へ移動し、駅の北口を左方向へ出て緩い登坂を歩くと見えてきます。
その名が面白い坂「夕やけだんだん」。
しかし今日がGW中だという事をすっかり忘れていたことを後悔しましたw
駅を出て直ぐに人が多いな、とは思いましたが。現場に着いたらもう人、人、人!!
もの凄い観光客の群の中に入ってしまい、残念ながらマトモな撮影も出来ない始末…(;´Д⊂)
その中でなんとか撮れたのが数枚、違う日にすれば良かった…。
今日の”夕やけだんだん”
人並みが切れるタイムミングでやっと撮れた1枚。
◇発汗CM・夕やけだんだん(2006.11.26放送)
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
【ハロモニ】
【現場写真】
◇◆夕やけだんだん付近
今日は観光客が多くてなかなか撮影に苦労しましたが、階段上からの眺めは正面に太陽が見えて夕やけの名所というのも頷けました。
正面に見える谷中商店街は賑やかですが、一歩外れるとこの辺りは昔からの老舗も多く古き良き頃の東京を具間見られます。
神社、寺院、坂道も味わい深い町並みをかもし出して、落ち着いた雰囲気に浸るのもいいかも…。
- 延命院
- 御殿坂
- 人力車
- 谷中せんべい
- 本行寺境内
荒川ゆうが教えるネットで握手会BLOG
日暮里駅から谷中銀座を結ぶ、ゆるやかな階段状の坂が「夕やけだんだん」。段差が低く、お年寄りにも歩きやすいのが人気です。また、夕日がまっすぐこの階段に当たり、夕焼けがゆっくりとこの階段を赤く染めていくさまは実に風情があります。この坂の名付け親は、「谷根千」などでも有名な、下町を愛する作家の森みゆき氏。また、よく日が当たるためかこの坂には猫が多く「ねこ坂」とも呼ばれ、谷中めぐりの人々が多く集っています。名付け親は地域雑誌「谷根千」の編集者で作家の森まゆみさん。1990年に日暮里三丁目町会が募集した「石段に名前を付けようコンクール」に応募して採用となったそうです。